追悼 阪神・淡路大震災 |
《あれから8年・・・》 一瞬の出来事でした。 明け方、突然目が覚めたら、自分の真上で電灯がぐるぐる回ったり天井にぶつかったりしていました。 ひとしきり収まってから、家族の安否を確認しようとしてベッドから降りた瞬間、数mも離れた本棚から飛んできていた百科事典の山を踏みつけて足を挫いてしまいました。 地震の直後、まるで雷でも鳴っているかのように空がピカピカ光るのを見ました。 あの日、隣の宝塚市に住む母方の祖父母の家にはどれだけ電話しても繋がりませんでした。 運び出した掛け時計は、5時46分で止まっていました。 うちの周りでも、うちの家以外、向かいも両隣も裏手も、近所の大きなマンションまでがすべて全壊でした。 それでも長田区辺りの被害とは比べものにもなりません。 地震のずっと前から一人の友達に小説を貸していて、長いこと、「あ、ごめん、忘れたわ」「おいおい、早よ返せよ」の繰り返しでしたが、その本は結局、二度と返ってくることはなくなりました。 あのころは、毎朝、毎夕水を汲みに近くの小学校まで行き、配給があればその列に並び、週に一度は少し離れた銭湯まで車で風呂に入りに行く、そんな生活でした。 あちこちで道路が瓦礫で埋まり、住んでいた人がそれを掘り返して大切なものを探しているのを、かろうじて残った塀に連絡先を書いた板が貼ってあるのを、そこかしこで花が供えてあるのをよく見ました。 人間は賽の河原に石を積んで生きているのだと、誰かが言っていました。 いまでも、ぼくたちは地震と全く関係のない普段の何気ない会話の中でも、地震をひとつの節目にして、「震災前」「震災後」といった時間の表し方をします。 確かに「あのとき」の記憶は年々薄れつつはありますが、誰しもの心の中にあまりに深く刻まれた出来事でした。 |